24takaの日記

普段の生活そのものを楽しく生きるためのキッカケを探ります!

軍都さがみはらと言われる理由!

先週の金曜日の現場が、神奈川県の相模原市だったのですが、その付近で石碑を見つけたので、写真に収めてみました。

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この石碑があるのは麻布大学の外周、安藤商店という酒屋さんの向かいにありました。

陸軍兵器学校?

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少し興味が湧いたので調べてみました。

ウィキペディアによると、
〝明治5年(1872年)、フランス陸軍のルボン大尉が東京都の小石川(旧水戸藩邸)で、伝諸工集所が開設された。1885年(明治18年)、砲兵工廠生徒学舎が設置され、1896年(明治29年)4月7日、陸軍砲兵工科学校となった。さらに、1920年大正9年)8月、陸軍工科学校となり、1938年(昭和13年)10月に神奈川県高座郡大野村(現:相模原市中央区)に移転した。1940年(昭和15年)8月1日、工科学校21期生の時代に陸軍兵器学校に改称され、7期生の時代に終戦を迎える。
最盛期には学生は4000名、軍属1000名にもおよんだ。〟
とされています。

実際に、相模原市では平成29年に「軍都さがみはら探訪」と題して、横浜線矢部駅から淵野辺駅に至るまでの道のりを歩き、軍の施設があった場所を巡る企画をされたようです。

この陸軍兵器学校の近くには、相模陸軍造兵廠という所があったらしく、現在は在日米軍相模総合補給廠になったいるようですね。

相模陸軍造兵廠では、戦車、火砲の牽引車や砲弾などを製造していた施設で、東洋一の規模と言われ、当時は2万人もの人が従事していたとの事です。

ここのフェンス沿いを車で走って現場まで行ったのですが、まーとにかく広い!ゴルフ場が一つ作れそうなくらい!

残念ながら、中には入れないようです。仕方ないですよね、米軍の施設ですからね・・・・。

でも、かなり昔の話になるのですが、長女、次女が幼い頃、知り合いのツテで、福生にある横田基地内で、英会話のレッスンを週に1度、土曜日に受けていた時期があります。

その時に2回ほど、基地内に入った経験があって、そのうちの1回はハロウィーンの時でした。

今ほど、ハロウィーンが盛り上がっていなかったので、本場のハロウィンを当時、味わえたことが子供達にとってはすごく刺激的で楽しかったようです。

沖縄では色々と問題になる米軍基地。

私の住んでいる八王子も横田基地と相模原の在日米軍相模総合補給廠の間に位置していて、複雑な思いで着陸態勢の米軍の飛行機を眺めています。

それでは今日はこの辺で!